第11話 白衣の意味
お四国八十八カ所など霊場とよばれる場所を参拝していると白い衣を羽織っている多くの人々と出会います。
中には笠をかぶり、杖をつき手っ甲、脚絆、首からは袈裟と頭陀袋を下げて、本格的なお遍路スタイルの人もいます。
この格好は古来から、お遍路の衣装として、同行二人(お大師さまと常に共に歩む)の証とされてきました。
これらの各道具には様々な意味と役割があります。(細かな説明は新崎人生同行記の衣帯のコーナーに紹介しています。)
元来の意味は誰にでもわかり、そして日常生活にも重要な意味が隠されています。
例えばお四国で、白衣を着ている人を見かけたらほとんどの人が「あっお遍路さんや。」と思います。
すれ違いでは必ず「ごくろうさま」「お気をつけて」「ようお参り」などと挨拶を交わします。
また、お饅頭やみかんなどをお接待したり、地元では宿やお風呂までお接待します。
極端に言ってしまえば、白衣を着ていると何も持たずともなんとかなってしまうのです。
ではこの白衣には何故そんな力があるのでしょう?
これには「そりゃ、着ている人はみんなお大師さま(み佛)やから。」と答える人が多いことでしょう。
もちろんその通 りで白衣を見て、そう感じることは間違いではありませんし、凄いことです。
しかし、以上述べてきたことは周りの人々の心持ちであって、身につけている本人の心持ちはどうでしょうか?最近忘れられていられるような気がしてなりません。
先程も述べたように、白衣は身につけた瞬間からみ佛の修行をしています。いや「私はみ佛ですよ!」ということを示しているのです。
ですから、身につけた者はその自覚と責任を持って行動しなければなりません。
このことに徐々に慣れていき、白衣を脱いだ日常でもみ佛の生活が出来るようにと始まりました。
しかし、ただ身につけていることに満足し、やがてその姿を忘れてしまう。お遍路しているんだと勘違いし、最後にはみ佛が悲しむような行動をしてしまっている。
本来、この白衣を脱いでも私はみ佛なのだから、ふさわしい生活を出来るようにという訓練のため遍路修行は始まったのではないでしょうか?
それが自慢と傲慢の象徴になってしまっているというのは皮肉なものです。遍路だけでなく、日本全体がこのような状態ではないかと巡拝するたびに感じてしまいます。 |