第6話 正座とお供え
あるご家庭の四〇代前半のご主人が急逝しました。
昨日まで元気だった人が深夜苦しみ、病院に運ばれましたが、手遅れでした。
私がお通 夜に駆けつけたとき、奥様は半狂乱、高校生と中学生の兄弟は呆然としていました。
奥様は親族になぐさめられ、別 室で心を落ち着けました。
お通夜の準備が整い、法話してお勤めしようとしました。
すると高校生の長男が私に食ってかかりました。
「意味もわからんお経拝んで、親父が帰ってくるんか?坊さんなんかいらん。俺なりの葬式をする!」
彼も気が動転していたのでしょう。
すごい目つきでまくし立てます。
ひと通 り彼の言い分を聞き、
「それじゃあ、どうしたらお父さんは喜ぶんだ。」
と私は尋ねました。
彼は答えず、私は話を続けました。
「今の君達にとって、お経は難しく、無意味なものに聞こえるかもしれない。でも、黙っていてもお父さんは帰ってこないし、仏さまにもなれない。それじゃあ、どうするか?私はお父さんが成仏出来るよう、懸命に拝み祈る。あなたは今日のお通
夜、明日のお葬式に姿勢を崩さず、合掌してくれ。お経は拝まなくてもいいから。ただ心の中にお父さんのことをいっぱい思って二日間過ごしてくれ。これで納得いかなければ、あなたの言うとおりにしてかまわない。」
私は夢中でこう言いました 。
お通夜、お葬式、彼は姿勢を崩すことなく堅固な合掌でお父さんを送りました。
それは周りの方々も感心するほどでした。
初七日の席で彼は清々しい顔でこう言いました。
「和尚さん、俺言われたとおりにしてよかった。この二日間頑張ったから 親父も喜んでくれた気がしたよ!」
その顔はまさにこの家の宝物になりました。
人は「あれは出来ない。」「これは意味がわからないからやらない。」と勝手なことを言います。
中には、いい大人が自分の親のお葬式でさえ、自分の体裁ばかり意識し理屈と言い訳ばかりを振りかざし、正座ひとつきちんとしない人がいます。
でも『供養』というのそんな次元ではなく、なりふりかまわず、よい意味のバカになってがむしゃらに行ずるものなのです。
形や姿勢も立派なお供えなのです。
この少年にとってお父さんの死は、大切な宝物を失った一瞬だったかもしれません。
しかし、この家にとっては新しい宝物を彼自身が手に入れた時だったのではないでしょうか?
四九日の法要の時、彼は参拝の親戚 に座布団を差し出し、自分は直に正座し、大きな声で読経をしてくれました。
その姿にお父さんも満足だったことでしょう。 |